25th
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COLUMN

VOL.1 THE BEGINNING OF GLOBAL WORK

「礎をつくった2人が語る
グローバルワークの黎明期。後編」

茂木 孝仁 (株式会社ギミック 代表)
櫻井 健一 (株式会社アダストリア 顧問)

2020.5.1 UP

この春、設立25周年を迎えたグローバルワーク。今日までの長い歴史の道程には、現在、そして未来へと語り継ぎたい数々のドラマがありました。創設の中心メンバーであり、ブランドの礎を築いた当時のチーフマネージャー&バイヤーとともに、立ち上げまでのストーリー、黎明期のエピソード、今だから明かせる知られざる秘話などを2回に分けて振り返ります。後半ではグローバルワーク のネーミング由来や今のブランドへの想いをご紹介。

写真・玉村敬太
文・いくら直幸

流行でなく個性を打ち出すことで
お客様が目指して来るショップになった。

茂木:すでにららぽーとで成功しつつあったセレクトショップ「ザ・ワークス」を次なるステップへと進めるべく、屋号を改めようという話になりました。櫻井さん、そして僕を含むバイヤー数人の主要メンバーで新しい店名を考えることになった。いくつか原案を挙げたなか、僕が考えたのは、ジーンズやカバーオールは労働着、トレンチコートやピーコート、カーゴパンツもミリタリー出自であるように、アメカジ、ひいてはメンズカジュアルの多くは働く男の服がルーツということ。ならば、視野を広げて世界中の働く服というテーマでグローバルワークという案を出した。

櫻井:僕はそれを、世界中の優れた作品を集めたベストセレクションと解釈しました。元々の「ザ・ワークス」の DNA を継承しながら飛躍するイメージもある。うん、いいネーミングだと確信しました。でも、茂木の案だったのかは定かじゃないなぁ(笑)。

茂木:あくまで自分の記憶ですけどね。だから、おそらく僕がグローバルワークの名付け親なんです(笑)。

櫻井:こうしてグローバルワークの名を冠したのが2001年。そしてセレクトアイテムと並行して、いよいよオリジナルブランドにも着手しました。当初はカリフォルニアのサーフテイストだったり、迷彩柄だったり、万人が好きそうなアメカジっぽいデザインが中心でした。

茂木:けど、ものすごい数のショップがひしめくショッピングモールでは、そうしたベーシックな洋服を並べていても目に留まらず、他店と一緒くたされてしまう。

櫻井:お客様が足を止め、憶えていただくために差別化を図ろうと、より存在感を出すように意識しました。

茂木:まずは、何でもかんでもゴチャゴチャと並べるのではなく、何かで方向性を示そうと。例えば春なら、オックスフォードのボタンダウン、リネンのオープンカラー、ブロードのバンドカラーといった数型のシャツを製作して、すべて白でリリースして、秋はそれをネイビーで発売したり。

櫻井:そうした試みが功を奏して、入店数も増え、リピーターも多くなった。さらにはアパレル業界のなかでもセンセーショナルな店となり、なかなかの影響力を持つようになったんです。

茂木:次は店頭でのアイキャッチになるイメージカラーを決め、僕らスタッフが好きだったネイビーを基調とした。

櫻井:さらに目印となるトレードマークも。僕が使っていた雲の柄のバンダナを見ながら落書きをしていたら、イニシャルの G・W をデフォルメすると西遊記のキン斗雲みたいな形になると閃いた。それを基に、最初のアイコンであるクラウドマークが誕生したんです。

茂木:そうしてイメージカラーとアイコンが定まるとグッと世界観が深まり、どんどんとコアな商品を作るようになりました。どちらかというと、お客様のニーズありきのマーケットインではなく、自分たちが格好いいと信じるモノを提案するプロダクトアウトな方向。

櫻井:代表的なところを挙げると、インディゴ染めのアイテム。あとは和やオリエンタル、エスニックなデザインに偏って、独自路線を突き進んだんです。

茂木:世間のトレンドや売れ筋を追うと、ほかと同じような商品ばかりになってしまう。そこから距離を置き、周囲の動向を気にしなくなったら、さらに売上げが伸びました。似ているショップがないから、こういったアイテムが好きな方はグローバルワークを目指して来店していただけるようになったんです。

櫻井:案の定、福田会長が見込んだとおり、2000年代の前半には日本各地にショッピングモールがオープンしました。ウチは個性を放つ目を惹く存在だったので、テナントに入ってほしいと誘致のオファーをアチコチからいただき、全国に次々と出店。’04年の1年間で24店舗、以降5年間だけでも、毎年平均20店舗以上も増え続けましたから。

茂木:どこも規模が大きいうえ、そこまでの出店ラッシュだと同時オープンもあったから、とにかく準備が大変。まさにテンテコ舞いだったけど、面白かったし、楽しかった。嬉しい悲鳴でしたね。

櫻井:ここまでがブランドの礎となった、いうなればグローバルワークの第1期だと思います。

—オリジナルブランドが成功し、店舗数も増え、右肩上がりに急成長。当時、次のフェーズに向かってどんなヴィジョンを描いていたのですか?

茂木:まったく考えていなかったですね、目の前のことで精一杯(汗)。

櫻井:茂木は’04年に独立しちゃったから、もう辞めた先のことを考えていたんでしょ?(笑)

茂木:いやいや、そんなことは……(汗)。

櫻井:僕が思い描いていたのは、グローバルワークのテリトリーを拡張すること。洋服があり、家具や生活雑貨があって、自転車やキャンプ用品もあるような、ライフスタイル全体をカバーしたい。そんな夢を語っていましたね。それを実現するためには、まず世界観を確立させることが大切で、そのうえで揺るぎないブランド力を持たせたいと考えていました。

茂木:実際、その取っ掛かりとなるモノは当時も扱っていましたよね。クラウドマークの総柄をまとったクマのぬいぐるみ、タオル、あと茶碗や湯呑みなどの陶器、お香に扇子、盆栽まで、いかにも日本らしい生活雑貨を色々と作ってた。

櫻井:最近では、そうしたショップも随分と増えましたよね。僕自身その夢は未だ捨てていなくて、今後のグローバルワークに期待したい気持ちもあります。

「コレじゃないとダメ」という
代わりの利かないブランドになってほしい。

—現在、グローバルワークは国内だけでなく、台湾や香港など海外にも進出しています。

櫻井:経営陣の構想はわかりませんでしたが、立ち上げた当初は、ここまで大きく発展し、海外にも精力的に進出するとは想像すらしていませんでした。

茂木:“ グローバル ” を名乗りながらも、世界に打って出ようなんて大それたことは、僕も含め、おそらく誰ひとりとして考えていなかったと思います。

—現在のグローバルワークの商品はいかがでしょうか?

櫻井:かつてと比べると、随分と洗練された。あとはストレッチや速乾素材など、快適で機能的なアイテムが目立つようになった。

茂木:そうしたなか、25年前の店頭にあっても違和感のないアイテムも残っている。時代に合わせてアップデートやブラッシュアップを加えながらも、原点を見失わず、しっかりと DNA が息づいていることも感じます。

櫻井:正直、僕が思い描いていた未来予想図とは違うけど、それを言い出すと老いの繰り言なってしまう。ただ、折に触れてスタッフに言い続けているのは、八方美人なブランドになるな、と。日本国民みんなに好かれるなんて難しいし、我々がそうなる必要はないんです。

茂木:会社を離れた僕から言えるのは、ファッションには自己表現や自己満足といった側面がある一方、他者に対してのアピールという役目もある。現在のグローバルワークはファミリーで楽しめるのが強みでもあるので、格好いいパパ、素敵なママ、そして愛らしい子どもを意識したモノ作りを、今後いっそう高いレベルで構築してほしいですね。

櫻井:今は多種多様なファッションブランドが溢れ、あらゆるモノが手軽に買える時代。僕らがグローバルワークをスタートした頃より、もっと確固たる世界観や個性を持っていないと、ワン オブ ゼムになって埋もれたり、淘汰されてしまう。そうならないためには、ここでしか手に入らない洋服、ほかでは代わりの利かない商品、そこにしかない空気感が不可欠だと思う。“ コレでいい ” ではなく “ コレがいい ” や “ コレじゃなきゃダメ ” にならなければ。それくらい心から求められる、お客様に必要なブランドを目指してもらいたいですね。